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よくある心配事を解決
病気の先輩

8月×日(木)

人間ドック

4日目の朝があけた。涼しい朝である。入院中に夏が行ってしまうのか、と感じるような涼しさだ。窓を開けると鳴いているアブラゼミが、かろうじて、まだ夏を感じさせる。霧のような雨が手に当たった。どうせなら、水がめを満たすくらいにどんと降ってほしいものだ。
7:45。食事のコールがある。唯一のお楽しみタイムだが、今日は腹部エコー等の検査があるので、検査終了までお預けである。なお、この検査は、人間ドックの一環として行われるものだ。お仲間の皆さんは、私が顔を出さないので、どうしたのだろうと話をしていたそうである。
さて、朝食抜きで待っていると、枕もとのスピーカーから「2F検査室までおいでください」と、お呼びがかかる。おりていくと、血圧、視力、聴力、眼底、身長、体重、心電図、CTスキャン、エコーと、息もつかせぬ検査の連鎖。身長は175,7cmあったが、寝っぱなしで伸びたのか?エコーは説明を受けながら、肝臓、胆嚢、すい臓、などなど見せてくれた。大動脈のでかさにびっくり。あの大きさには、おお生きてるんだ、というインパクトがある。それぞれ写真撮影したものを医者に見てもらうようだ。異常があると、この部位にこのような模様が入るという説明からすると、とりあえず問題はなさそうだ。

病棟係りさんの配慮

朝エコー検査の話があったとき、9:30から入浴ということを看護婦さんに言っておいたので、うまく入浴時間までに終わるように間に合わせてくれた。リフレッシュする入浴はかかすことができない。5分遅れで、浴場に駆けつける。今日は久しぶりに洗髪だ。シャワーと泡のボコボコで生き返る。
戻りしなナースステーションに声をかけ、朝食を出してもらった。2時間遅れで10:00から朝食である。今日はパンであった。バナナもついていて大満足。その間にS君が退院していった。
配慮が行き届いているなあと感心したのは、私が朝食を取っていたので、病棟係りの方がこの部屋の掃除を待ってくれたことだ。食事の終了を確認してから掃除を始められたのには、ケアが行き届いているなあ、と感じいった。
遅い朝飯後、抗生物質の点滴20分。これで、本日の午前のスケジュールは終わりである。
11:00過ぎに、2名の方が相次いで入ってこられた。

「総合病院」より「専門病院」

(その1)
12:00。昼食のメンバーは8人ほど。徐々に人が入れ替わっている。食後、今日は洗濯をしようと屋上手前の踊り場へ。そこにコインランドリーが2つ置いてある。200円で洗濯、100円で40分の乾燥である。屋上は、灰皿が置いてあり、喫煙者の溜まり場になっていた。
脱肛の手術を受けたLさんは、以前食道癌の手術をしたこともあるという。最初、市の総合病院で見てもらったときは、食道の一部を切り取り、そこへ小腸の一部をつなげるという手術を示されたそうだ。これを行えば、肋骨を切り裂き、さらに小腸まで切り裂くという大手術を行わなければならない。不安を感じたLさんは、紹介状を書いてもらい、癌センターに転院した。そこで示された手術は病巣のある部分を削り取るというもので、内視鏡を使い、ものの10分ほどで終わったという。
痔の手術でも同じだが、下手な医者は丸ごと切り取ろうとする。この病院は、なるべく健康な部分を残そうとする。癌であれ、痔であれ、医者に見てもらうのであれば、何でもかんでもの「総合病院」より、進んだ技術を持ち、経験豊かな「専門病院」に限ると、つくづく感じたことである。
ひとしきり面々と話をしていたら、ちょうど洗濯が終わっていた。13:00から診察があるので、乾燥機に放り込んで部屋で待機。まもなくアナウンスがあり診察。私の場合、アテローマの部位が仙骨の辺りであるため、こすれ易い。ちょっとつっぱると裂けることもあるため、こちらの抜糸の方が長引くようだ。私と同期入院ながら、先に通常食になったFさんは、通常食になって2日経つのに通じがないということで座薬を入れられたらしい。
診察終了後、乾燥機を見に行くとふかふかに乾いていた。

(その2)
大学生のW君は、39度の熱と下腹の痛みを抱えて総合病院に行った。何しろ名だたる大学のメディカルセンターである。まず、内科を受診。痔の話もしたが、外から見ても切れ痔があるわけではなく内科医にはわからない。外科にでもリファー(紹介)してくれればよいものを、それをしない。ならば、総合病院の意味がないではないか。
ともあれ座薬の鎮痛剤をさしこまれ、これが触ったらしい。帰りは一歩歩くごとに激痛が走り、そろりと踏み出してはしばらく立ち止まり、ということを繰り返して、病院から自宅までのわずか200mに1時間かかったという。
ようやくたどり着いた時は、運悪く両親はご不幸があったために家を空けることになった。指一本動かしても激痛が走るT君は、両親のいない中、身動きもできずに寝ているしかなかった。かろうじて、痛み止めを3回分まとめて飲んだときに少し和らぎ、その寸隙を縫って這って水を補給に行き、薬をいつでも飲めるように、プチプチプチ、とパッケージから出すだけ出した。痛みの激しいときは、このプチすらできないのだという。
それからは、痛みと熱で、記憶が途切れ途切れになる。いったい今がいつか時間も定かではない。彼は、人間も泡を含んですねえ、という。漫画では見たことがあるが、気づくと自分の口の端に泡が吹いていたという。どうやら、痛みで失神していたらしい。…さて、帰ってきた両親が見たのは、台所で突っ伏して倒れているT君と、その周りに散乱している薬である。発見されて始めてT君は、3日経っていたことが判ったという。
さて、激痛の元は痔ろうの膿であった。それが何の拍子か破裂し、膿が流れ出た。パンツの中に両手一杯(!)ほどの膿がたまったという。その瞬間、激痛は去り、何と両腕も体も動くようになった。そこで、彼は猛然とインターネットで原因を調べた。そして、予想だにしなかった痔ろうであるらしい、ということがわかった。
そこで、今度は同センターの外科に行った。小さく、「肛門」とも書いてあったからだ。行くとすぐ、膿が出きっていないというので執刀されることになる。肛門にいきなり直接の注射。飛び上がるように痛い。そして、麻酔が効き始める前に何とメスを入れられた(!!)。目の前の鉄棒を片手で握り締め、もう片方の手でバンバン叩いて「痛い!痛い!!」と訴える。その後ようやく効いてきたが、その痛みが抜けなかったという。その後も4日ほど唸っていたらしい。
こういう苦労の末、もう総合病院はいやだということで、彼は再びインターネットで専門病院を探し、ここを探り当てたというわけだ。辛い思いをしたものだ。ここならば、まずその日に切って膿を出すという1泊の応急処置をしておき、後日再入院して本格治療というコースで、痛みもなくスムーズに進んだことであろう。

(その3)
小5のころから痔との付き合いのあるUさんの場合は、慣れは怖いというケースの一つであろう。最初は単純な切れ痔だったのが、壮年になったころは肛門にピンポン玉2つをぶら下げるまでになっていた。要は、膿の袋である。普通に座れないのだが、それでもすぐに来ないところが、長年のお付き合いの“慣れ”の怖さである。そのうち、尻を拭くときに膿がつくようになり、さすがにこれはおかしいと町医者に行く。彼が救われたのは、その個人病院に、この辻仲病院出身の医者がいたことだ。その医者は、その個人病院では見切れないとこの病院にリファーしてくれた。かくして彼は最新の医療施設の中で治療をすることになったのである。こういうネットワークができるとよいと思う。
ところで、この病院に麻酔のベテランがいるらしいが、その方が独立して個人開業されるようだ。さまざまな患者の多様なケースにこれだけ接していれば、ベテランにもなるだろう。まさに、辻仲学校である。