コンパクト版
放浪の俳人「山頭火」と痔
 

うしろすがたのしぐれてゆくか
どうしようもない私が歩いている
鉄鉢の中へも霰
まっすぐな道でさみしい
分け入つても分け入つても青い山

などの自由律俳句で知られ、放浪の俳人と言われる種田山頭火(たねださんとうか、1882年−1940年)も痔で悩んだ一人です。
 山頭火は、痔の病には触れている句はありませんが、行乞記(ぎょうこつき)という日記の中で、自分の痔について、次のように記しています。(昭和7年の行乞記から一部を抜粋します。)


四月七日
曇、憂鬱、倦怠、それでも途中行乞しつゝ歩いた、三里あまり来たら、案外早く降りだした、大降りである、痔もいたむので、見つかつた此宿へ飛び込む、楠久、天草屋

五月二日
四里ばかり歩いて、こゝまで来て早泊りした、小倉の宿はうるさいし、痔もよくないし、四年前、長い旅から緑平居へいそいだときの思い出もあるので。 
 
五月八日
痔がいたむ、酒をつゝしみませう。

五月十七日 十八 十九日 降つたり吹いたり晴れたり、同じ宿で。
仏罰覿面、痔がいたんで歩けないので休養、宿の人々がまたよく休養させてくれる、南無─。
同宿の同行はうれしい老人だつた、酒好きで、不幸で、そして乞食だ!

五月廿一日
今にも降りだしさうだけれど休めないやうになつてゐるから出かける、脱肛の出血をおさへつけてあるく。

七月八日
痔がよくなつた。昨春以来の脱肛が今朝入浴中ほつとりおさまつた、大袈裟にいへば、十五ヶ月間反逆してゐた肉塊が温浴に宥められて、元の古巣に立ち戻つたのである、まだしつくりと落ちつかないので、何だか気持ち悪いけれど、安心のうれしさはある。

九月十一日
昨日の今日で頭がわるくない、痔もわるくない、腹も胃も、手も足も、─あゝすこしばかり行乞流転したい。


参考文献:種田山頭火「死を前にして歩く≪山頭火の本3≫」春陽堂書店 昭和五十四年十二月 一部原文表記と異なる部分があります。

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