コンパクト版
エッセイに書かれた痔@
 
三人の方のエッセイからその一部を引用しました。お二人の方は、ご自身の体験談を語っています。この前後にも面白いことや身につまされることなどがたくさん書かれています。(一部原文表記とは異なる箇所があります。)
 
■桂米朝 毎日3席、6日間通す・・・持病悪化、応急処置で辛抱・・・痔は馬に乗るのが一番いい・・・
(略)鳴り物お囃子がにぎやかに入り、大いにわいているところへ、突然、体の中心に激痛が走った。(略)そのころ脱肛(だっこう)に悩んでいたのだ。さて明日以降どうするか。一万枚のチケットが売り切れ、まだ四日もある。今時、で死ぬこともあるまい、と腹を決めた。(略)
翌日からは一席しゃべって下りてくると、楽屋のふろに飛び込んで
脱肛を押し込む。そして、しびれ薬のようなものをつけたガーゼを当て、ガムテープで固定して再びにこやかに舞台へ。(略)結局、踏ん切りがついて地元、尼崎市(兵庫県)の病院で手術した。先生が「見た目が悪くなるけどいいかな」というので、「見た目って、先生、あんなとこだれが見ますのや」
作家の三田純市さんが見舞いにきてくれた。「
は馬に乗るのが一番いい」とまじめな顔でいう。「そんな話聞いたことがない。なんで馬なんや」といえば、「ほれ、『ジキル博士とハイド氏』ってあるやろ。ジィキルとハイドウ」。
(落語家 日本経済新聞「私の履歴書」から一部引用)

■中村勘三郎 痔のおかげで・・・  
 中支慰問から帰った翌昭和十九年一月、中村もしほ(勘三郎)にも水戸四十九連隊への召集令状が届く。そして、一月三十一日入営したが、入隊したその日に持病ののおかげで、即日帰郷を言い渡される。
「検査ではねられた気持はどうだ」と聞くので、「名残り惜しいであります」と答えたら、「ウソをつけ」と怒鳴られました。(略)
(歌舞伎役者 中村勘九郎他「中村屋三代記」から一部引用)

■別役実  痔道楽、天真爛漫・・・
(略)ところで、こうしたいきさつに通じていないものは、当然ながら「どうして道楽は、『じ』という音に対して、これほど敏感に、そして過激に反応をするのか」という問題を抱かれるであろう。「どうして身動きもならないほどギッシリ詰まった聴衆をかきわけて演壇に近づいたり、赤信号であるにもかかわらず対岸の主婦に近づこうとしたりするのか」と・・・。もっともな疑問である。(略)
 問題は、「
道楽」は何故話したがるのか、ということであろう。もちろん、他の「病気道楽」においても、話すことに「喜び」を見出す傾向がないとは言えない。しかし、ここが肝心な点であるが、他の「病気道楽」が話すのは、ほぼどう同病者に限られているのである。素人に話すことは、病気の種類にもよるが、何となくはばかられるものがあるのであろう。ところが、「道楽」だけは、言うまでもなく同病者同士でも話すが、極めてあけすけに素人にも話すのであり、その点で何のこだわりも抱いていないのである。
 言ってみれば「
道楽」は、その病気の特殊性にもかかわらず、実に天真爛漫なのだ。内密に、同病者同士で密かに楽しもうというところがない。(略)
(劇作家 「当世病気道楽」から一部引用 )

 
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