一九二八・三・一五
おい地獄さえぐんだで― 函館を出港する漁夫の方言に始まる「蟹工船」。小樽署壁に<日本共産党万歳!>と落書きで終る「三・一五」。小林多喜二(1903−1933)のこれらの二作品は、地方性と党派性にもかかわらず思想評価をこえ、プロレタリア文学の古典となった。搾取と労働、組織と個人・・・・・・歴史は未だ答えず。(解説=蔵原惟人)
(「蟹工船、一九二八・三・一五」 小林多喜二著 岩波文庫 カバーから引用)
■第十二章 嘘発見器
(略)
小林がこうした活動をしていた一九二八年三月十五日の未明を期して、当時非合法の状態で活発に活動していた日本共産党を先頭とする革命運動にたいする政府の大弾圧、いわゆる三・一五事件がおこったのである。その日から日本全国にわたって数千名の戦闘的な労働者、農民、知識人が検挙され、つづいて四月十日には、労農党、評議会、無産青年同盟が解散を命ぜられた。小樽でも、二カ月にわたって五00名以上の労働者や社会運動家が逮捕され、小樽合同労働組合や労農党の小樽支部が解散させられた。この集に収められている小林多喜二の「一九二八年三月十五日」はこの小樽における逮捕と拷問を主題としたものである。
(略)
(「蟹工船、一九二八・三・一五」岩波文庫 解説(蔵原惟人)から引用)
一部原文表記と異なる部分があります。
■一九二八・三・一五
(略)
夜が明けていた。電灯が消えるとしかし、眼が慣れない間、室の中が急に暗くなった。壁の落書も見えなくなった。青白い、明け方の光が窓の四角に区切られて、下の方へ三、四十度の角度で入ってきていた。渡は急に大きく放屁(ほうひ)した。それから歩きながらも、力を入れて、何度も続けて放屁した。渡は痔(じ)が悪かったので、屁はいくらでも出た。そしてそれが自分でも嫌になるほど、しつこく臭かった。「えッ糞、えッ糞!」渡はそのたびに片足をちょっと浮かして放屁した。
八時頃かも知れなかった。入口の鍵がガチャガチャ鳴った。戸が開いて、腰に剣を吊るしていない巡査が指先の分かれている靴下に草履(ぞうり)を引っかけて入ってきた。
「出るんだ。」
「動物園の獣じゃないよ。」
「馬鹿。」
「帰してくれるのかい、有難いなあ。」
「取調べだよ。」
そういったが、急に「臭い、臭い!」と、廊下に飛び出てしまった。
渡はそれと分ると、大きな声を出して笑い出した。おかしくて、おかしくてたまらなかった。身体を一杯にくねらして、笑いこけてしまった。こんな事が何故こうおかしいのか分らなかったが、おかしくて、おかしくて、たまらなかった。
(略)
(「蟹工船、一九二八・三・一五」 小林多喜二著 岩波文庫 から引用)
一部原文表記異なる部分があります。 |