痔の散歩道 痔という文化

静寂の声(渡辺淳一)
■『静寂しじまの声』(渡辺淳一著)
乃木希典
のぎまれすけの伝記小説

渡辺淳一(1933―2014年)の作品は、整形外科医師の経験を踏まえた「医学小説」をはじめ、「恋愛小説」、「伝記小説」、「エッセイ」など多岐に及んでいますが、特に『失楽園』や『鈍感力』が有名です。
その膨大な著作のうち、三つの小説(『遠き落日』、『静寂の声』、『無影燈』と一つの随筆『新釈・びょうき事典』に、「痔」が描かれています。
ここでは、『静寂の声』を紹介します。「痔」と書かれている箇所を下記に抜粋します。



■『静寂の声』の概要

 軍神と烈婦と称
たたえられた乃木希典まれすけと静子夫妻の生涯を描いた作品。
 西南戦争で軍旗を失った希典は面目をなくした。乱行が目立つようにもなった。そこで、旧薩摩出身の女性と結婚する。それが湯地お七。希典の一言で、鎮、さらに静子と改められた。
 結婚当初から二人はうまくいかなかった。希典はわが家にはわが家のしきたりがあるから、気にくわなければいつでも帰れ、と最初に言っていた。
 希典は外見を気にするナルシストであった。また優柔不断なところがあった。静子は
そんな夫の性格を把握して、うまく接した。
 その成果があり、静子は姑とも良好な関係を築き、乃木家で自分の位置を確立していった。
 希典は順調に出世していく。日露戦争での二〇三高地の戦いでは多くの日本兵が死んだ。
 二人の子供も戦死した。その後、日本軍はロシア軍を撃破。水師営で希典とステッセルの歴史的会見が行われ、希典は軍神とあがめられるようになる。その過程を静子は冷静に見てきた。
 希典は、乃木家断絶の境にあって、明治天皇の御大葬の当日、静子夫人と殉死した。
 自刃するつもりはなかった静子をいかに説得したのか。どのような最期だったかに迫る作品。


一部原文表記と異なる箇所があります。
集英社「渡辺淳一のすべて」 編者『渡辺淳一恋愛小説セレクション』編集室
二〇一八年六月三〇日発行


■「痔」という言葉が書かれている箇所を抜粋


(略)

 当時、警視庁警察医員であった岩田凡平が記した『乃木大将死体検案始末書』によると、希典の直接死因は、下方から喉元
のどもとに突き上げる形で刺入した軍刀が左総頸動脈を貫き、大量の出血を招いたためである。この刃先はさらに気道、食道から迷走神経、さらに第三頸椎けいつい横突起まではねており、坐って喉元に刃先を向けたまま相当強い力で突き刺したことが想像される。
 さらに腹部に縦十五センチ、横十七センチにおよぶ十文字に交叉
こうさする切創があるが、創きずは皮下組織から筋肉に達する程度の浅さで、出血もほとんど認められなかった。なお、自殺に多いといわれる「ためらい傷」は、腹部と頸部に数個所散見されるだけだった。
 他に肛門に白紙をまとめた小棍子
こんしが二個挿入され、この端を包帯でおおい、その先は両肩まで吊つり上げて固定していた。長年、頑固な痔疾で苦しんだだけに、死後、脱肛して見苦しい姿をさらすのを避けるための周到な配慮と推定される。

(略)

一部原文表記と異なる箇所があります。
角川書店 渡辺淳一全集 第18巻 「静寂の声―乃木希典夫妻の生涯」 平成九年三月二十七日発行 から引用



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