痔の散歩道 痔の散歩道

 ヒトこそは
 一番の
 珍獣じゃ
 あるまいか。

倉本流「人間動物園」観察記
抱腹絶倒のショートエッセー97篇

著者の少年時代やニッポン放送在籍時のエピソードから、劇団・テレビ・文壇・富良野の仲間たちの愉快な裏話まで、計97本のユーモアたっぷりのエッセーを収録。

産経新聞ニュースサービス「北の動物園」 倉本聰著 2005年2月20日第2刷 の帯から引用

[著者]倉本聰《くらもと・そう》
昭和10年東京生まれ。東京大学文学部美学科卒業。ニッポン放送勤務を経て、シナリオ作家としてテレビを中心に、映画、舞台の各ジャンルで活躍。テレビドラマの代表作に「前略おふくろ様」「北の国から」「昨日、悲別で」など。著書に『北の人名録』(新潮社)『ニングル』(理論社)全集『倉本聰コレクション』全30巻(理論社)などがある。

同上 産経新聞ニュースサービス「北の動物園」 倉本聰著 奥付から引用


■北の動物園

」と書かれた箇所を中心に引用します。


馬の旅


 十数年前オーストラリアにホーストレッキングの旅に行った。同行は俳優の地井武男。

(略)

 ところでこのツアーに出る前夜のこと。僕らはキャンベラのインドカリーの店で物凄《ものすご》く旨《うま》く物凄く辛いカレーを山程食べた。それは全く辛いカレーで僕の経験ではこれは翌日まちがいなく尻に来るな、と思われた。カレーは翌日尻に来る。何年か前痔《じ》の手術をした僕は、香辛料と血流と
肛門《こうもん》の連鎖に関するベテランだった。
 乗馬は
肛門を極端に刺激する。で当日の乗馬に備え、その朝僕はひそかに尻に、日本から持参したオロナイン軟膏《なんこう》をベッタリと塗り、ティッシュペーパーをはさんでおいた。おかげで初日の難行苦行はあってもお尻の方は全く無事だった。ところが。
 キャンプ地のブッシュにテントを張り、地井と二人でおさまってしばらく、地井がボソボソと云い始めた。
「先生、ケツが痛くねか」
「ケツ?全然」
「一日馬に乗っていたせいか、どうもケツの穴が剥《む》けたらしい」
「それは馬の乗り方が下手なンだな」
「見てくれ」
「よし、見てやろう」
 そこで地井武男は四つ這《ば》いになりズボンを下ろして僕に向かって無礼極まりなくケツの穴を見せた。
「どれどれ」

(略)


ヘモロイドその壱

 英語で云えば
ヘモロイド。日本語で云えば要するに痔《じ》である。タイトルにと書くと下品だから格調を重んじてヘモロイドと書いただけ。長嶋さんもきっとこっちを使うにちがいない。
 初めてこの
ヘモが発症したのは、多分物を書くようになって座業が続いたせいだと思う。この痛みはまた格別なものがある。激しくなるとまともに座れない。斜めに座って物を書いている。僕の字がどうも一方へ傾くのは、このヘモ時代の名残である気がする。大きなトイレをした後など最悪。ヘモのデビルが尻の奥から断面菱形《ひしがた》のとがった錐《きり》を持ち、ニタリニタリと笑いながら排泄孔《はいせつこう》を突ついてくる感じ。早く病院に行けば良いのだろうが一体どんな屈辱的体位で治療なり手術なりされるのかと思うと僕の美学がどうしても許さない。で、激痛に耐えつつ放っておいたら症状はどんどん悪くなりついに両眼が段々寄って来た。眼が寄る感じの痛みになったら、これはもう絶対医者に行けと何人ものヘモ先輩に云われていたのでそろそろ内心覚悟を固めた。そんな時、親しい女優の×××××さんから名医がいるから紹介するわよと云われ、漸《ようや》く重い尻を上げる気になった。なったが美学上の問題がある。とある喫茶店で××さんとデイトし、斜めに座ったまま質問を開始した。

(略)

「お待ちしておりました」と受付の女性が笑い、若い看護婦が明るく迎えに来た。ドキドキした。診察室にはさらに二人の看護婦。絶望的な気分になった。全員、可愛く、極めつきの美人なのである!パンツを脱ぎつつぼんやり思った。この病院はまちがっていないか。
ヘモの病院ならブスを置くべきだ!


ヘモロイドその弐

 で。某有名女優に紹介され切羽つまって
肛門《こうもん》病院の門を叩《たた》いた所までである。ところがそこにはあろうことか、三人の美しい看護婦がいた。これからパンツを下ろし、分娩《ぶんべん》台そのままのベッドにあお向けに寝かされ、両脚を開いて全くあられもない屈辱的体位をとらされた。

(以下、診察、手術の場面が続きますが、省略します。)

 その時僕は三十四歳にして、シナリオというものはセリフではなくアクションこそ表現の原点なのだということを会得する。
 
こうしてヘモロイドの手術は進んだ。
 後はほとんど覚えていない。
 途中で医者がベンツのマークに切りましたからね、と云った言葉だけが鮮明に残っている。そうか、ベンツか。■(○の中に人を入れたようなベンツのマーク)こういう形か。
 術後、下半身に麻酔の効いた我が肉体は、屈辱も美学も尊厳もなく、入院部屋である二階に移るべく喜び組の三人に抱えられ、情けなくヘラヘラ笑いながら女たちの体に縋《すが》っていた、只それだけの記憶である。
 後年この件を吉行淳之介先生に話したところ先生しばし絶句され、それからやっとホッとされて
「ああ!ベンツですか!フォルクスワーゲンと錯覚してしまった」と言われた。
 

同上 産経新聞ニュースサービス「北の動物園」 倉本聰著 から引用。
《 》内はルビ。原文表記と異なる部分があります。


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