痔の散歩道 痔という文化

『土』執筆の事情とその苦心(平輪光三)
長塚節(1879-1915)
歌人・小説家。茨城県の生まれ。茨城尋常中学校中退。
1900年正岡子規を訪ね、門に入る。子規との邂逅は決定的なものをもたらした。根岸派の重鎮として伊藤左千夫と並び称せられた。また写生文をよくし、小説「土」によって農民文学を確立した。

「芥川龍之介全集 第十九巻」 岩波書店 二〇〇八年七月八日 第二刷発行 人名解説索引(関口安義・宮坂覚)から引用


 
「長塚節・生活と作品」から「土」執筆の事情とその苦心

(略)
 小説執筆に対する熱心は、遂に節の健康を害するに至つた。短篇「芋堀り」を発表した当時、既に疾病に苦しんだが、「土」の執筆にかかつてからは小学校などで堅木の児童用腰掛で数時間を過した無理が、常から悪かつた
を悪化させ、我慢にも執筆を続けることが出来なくなつた。節は妹の婚家である真壁郡河間村の奥田医院に入院して、の切開治療を進めたが、にならねばよいがとの心配が、節の「土」執筆を懸念させ、責任感の強い節を二重に苦しめた。新聞への「土」掲載間もない六月中旬のことであつた。
 朝日新聞への「土」の原稿送付にはいちいち書留郵便で、鬼怒の渡船を越えて一里近くもある宗道、又はその先の下妻郵便局へ自ら持つて行ってゐた。が、入院するまでには既に五十一ニ回分を脱稿してゐたので、休載になるやうなことはなかつた。しかし節は、どうしても最後まで完全に執筆を終わりたい念慮で、切開後は切ない心で静かに横臥してゐたが、病室には水車の音が聞こえ、蛙の声が喧しく聞えて、「土」執筆の熱意に油を注いだ。節は少しよくなると横臥したまま筆をとつた。
 この妹の家から、節はそれまで「土」執筆のため怠りがちであつた友人達への書信を幾つも書いてゐる。そのうち「土」執筆に関するその間の消息を最もよく語ると思はれる明治四十三年七月十一日附、島木赤彦あて書簡に「葉鶏頭は苗のまま畑に放棄して此の地に来り候故、今年は庭に八尺の紅を見るべからず候。頗る遺憾に不堪候。尤も病気以外に早く快癒するならば、苗の最小なるを選び、土用でも構はず植ゑんかと心掛居候。毎日の曇天にて頭悪く困り居候。其上自宅には庭に花多く候へ共、此処には一叢の月見草朝夕殊に雨戸を開けて蚊帳の中から眠き目をこすつて見る処に興趣を有するに不過候。『土』は御覧被下候ことに候や。あれで随分の無駄骨を折り候ことなれど、清書する時一日に原稿紙卅枚四十枚と急ぎ候爲、意外に印刷したる後語句の渋滞して読み憎き処も有之、自分ながら不思議に感ずる程に候。其後病気のため一向稿を継がず、どうしたものかと存居候。横臥しながらも今日あたりより筆とり申度心得なれど、一ヶ月以上も休み居り候こととて何となく厭でなり不申候。今日までの処にては幸に一般の評判よろしく、何卒して完結を告ぐるまでは気力の衰へざる様と祈り居候へ共、一体に衰弱を来し申候。且旅行記ならば何処に居ても自分の記憶のみを辿ることを故差支無之候へ共、此で『土』の如きものになれば自分の熟知して居ることでも、人物の動作や季節の変化等を仔細にまのあたり見ねば本当の情が乗らぬものにて、小生は病気の爲に大事を逸し去つたるが如き感を懐き申候。西洋画家がモデルなしに描けぬやうに、小生の『土』は自分の土地を離れては困難の事業に候。つまらぬことと御笑ひ下さるまじく、小生には此から先が心配で心配で堪らぬ処に候。然し書き出したら一生懸命やる積なれど、書き出しがまたが問題にて、一向愉快な日とて無之、頭の悪いのは天候の関係のみにては無之候。此の様な愚痴もあとで物笑の種になれば、小生には幸此の上なき次第に候。
 『土』の冷えは胡桃澤君より御きき被下候ことと存申候。此前は御挨拶も申上げざりしたが、芋井村からの絵葉書も慥に拝受仕り候。『土』の人物は皆現存せり」と通信してゐる。執筆に対する態度をよく物語つてゐる。この書信は手術後、経過が大分よくなつてからのものではあるが、横臥した儘これだけの分量を一枚のハガキに認めたのである。「土」の第一草稿と共に、節の性格の一面を示すものである。
 節の
は、肛門の腫物が幸ひ良質のものであつたから、それでも安心できた。暦の上では既に梅雨は去つてゐたが、陰鬱な天候はなかなか晴れようともしない。節は患部の性質上、すぐ全快するとはゆかないので、少なからず焦心してゐたが、七月の中旬には帰宅することが出来た。そして、相変わらず「土」の執筆に専心した。

(略)

 そんなこんなで、「土」の執筆は節を苦しめることが多かつたが、何よりも苦痛だつたのはその健康である。十数年不断の努力と、取返しのつかない青春を犠牲にしての貴い忍耐とによつて、誇るに足る健康を取返した節は「土」の執筆によつて、その健康をも犠牲にしなければならなかつた。を亢進させ、部分的な健康の弱り目から、遂に不治の病の発生となり、その生命を奪はれることになつたのである。

(略)


旧字体の一部は改めています。間違いはご容赦ください。
その他にも原文表記と異なる部分があります。


長谷川泉監修「近代作家研究叢書 115 長塚節・生活と作品」 平輪光三著 日本図書センター 1992年10月25日 初版第1刷発行 から引用
 
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